今に生きる私たちは、お金さえあれば幸せ、出世すれば幸せ、かっこいい彼氏がいれば幸せ、など「何かが手に入れば」幸せと思い込んでいます。
お金が手に入ったら、次の瞬間には「なくなる不安」が迫ってきますし、出世したら「責任」がついてまわります。
かっこいい彼氏と結婚できたとしても、その彼氏はDVモラハラ夫になるかも知れません。
このように、私たちの幸せや不幸せは、一定ではなく、常に揺れ動いている相対的ものなのです。
それを昔の人は、「塞翁が馬(さいおうがうま)」という故事に残してくれました。
※「人間万事 塞翁が馬(にんげんばんじ さいおうがうま)」とも言われています。
今回は、この故事にまつわるエピソードを交えつつ、私たちが幸せに軽やかに生きるために必要な視点を、お伝えしてまいります。
「塞翁が馬」の由来
元々は、今から2000年以上前の中国(前漢時代)、淮南王の劉安(りゅうあん)という王様が、その当時の学者の人たちを集めて、編集させた思想書の一つです。
その思想書の「人間訓(じんかんくん)」に、今回の故事の元があります。
出典:淮南子・人間訓
エピソード
昔、とある国の国境近くに住んでいた一人の老人がいました。
ある日、その老人の飼っていた馬が、国境を超えて胡(こ)の国へ逃げてしまいました。
村人たちは、「残念だったね」と励ますのですが、その老人は「これは幸運の兆しだ」と不思議なことを言っていました。
その数ヶ月後、逃げてしまった馬が、胡(こ)の国の名馬を引き連れて帰ってきたのです。
村人たちは、「帰ってきてよかった!しかも名馬も引き連れてきて!」と喜んだのですが、その老人は「これは不運の兆しだ」と、また不思議なことを言いました。
その後、老人の息子がこの名馬に喜んで乗っていると、馬が暴れ出し、落馬してしまいました。
そのはずみで足を骨折してしまったのです。
村人たちは「かわいそうに。残念だったね。」と老人を励ますのですが、「これは幸運の兆した」と、また変なことを言い出しました。
その後、胡(こ)の国が自国に攻めてきて、国中の若者が兵に取られて、皆死んでしまいました。
ですが、老人の息子は足を怪我していたので、兵役を免れて無事だったのです。
このように、一見幸せに見えること、不幸に見えることも、その出来事の次に起こることによっては、幸せの種にも、不幸の種にもなると伝えられています。
これと似たような言葉が、実は世界中で言われているのです。
禍福は糾える縄の如し
禍(わざわい)と福(しあわせ)は、表裏とどんどん移り変わっているものなので、不幸を悲しんでいても、いつの間にか幸せに変わっているという意味。
その逆も同じようなもの。
楽もあれば苦もある
楽しいことの後には、苦しいこともある、という意味。
その逆も同じようなもの。
Every cloud has a silver lining.
訳:どの雲にも銀の裏地がついている
雲は地上から見ると黒いけれど、反対側は白い色をしている、という意味から、どんなに不幸なことに見えることでも、その裏側には必ず明るい面もある、という意味。
一例を挙げましたが、昔から今にずっと伝わってきた言葉ということは、真理とも言えるのではないでしょうか?
では、この故事から私たちはどう学び、活かしていけばいいのかをお伝えしてまいります。
幸せや不幸せは"相対的"なもの
この世界で絶対的なものをあげるとすると、それは「絶対的なものは何もない」というものです。
幸せと感じるのも、不幸と感じるのも、私たち自身の「心」が決めています。
あの"人"や昔の"出来事"と比べて、私たちは判断をしてるわけです。
もちろんその瞬間、嬉しかったり悲しかったりを感じるのは当たり前なことです。
ですので、そういったことに自分が振り回されず、物事はプラスマイナスに変化していくものと理解していきましょう。
人生は"点"ではなく"線"と捉え直す
特に、苦しく辛い状況の渦中にいると、感情に呑まれてしまい、不幸にしか目がいかないかも知れません。
ですが、少し視点を高くして、人生全体を広げてみてみましょう。
まるでカーナビの視点を「50m」から「1km」「10km」と広げていくような感じです。
これまで起きたこと、これから起きる(起こしていくこと)を線で繋いで、今の”点”を結び直してみましょう。
この今の"点"は、あなたの人生にとって、どんな役割を果たしているのでしょうか?
塞翁が馬での、老人の息子のように、怪我をしてしまったことで、何か次に起こる災難を避けることができるのかも知れません。
もしくは、この辛い状況のおかげで、自分の人生を本気で見つめ直せたのかも知れません。
ですので、ぜひ、今の状況を"点"だけで捉えず、"線"として結び直していきましょう。
ゼロイチ思考を手放し思考を柔軟にしておく
「この出来事が起きたから、私の人生詰んだ、もうダメだ」
「これを手にしたから、もう安心だ、何もしなくていい」
このように、極端に大丈夫とか、絶望とか、偏った考え方のことを、ゼロイチ思考とも呼びます。
生きていれば、どちらとも呼べないグレーなことにも遭うものです。
だからこそ、目の前の出来事に余計な判断するのではなく、観察して、保留するのも大切な考え方です。
例えば、婚約をしていた人から別れ話をされたとします。
ある人は、「もうだめだ...」と落ち込み1年や2年と引きずってしまう人もいます。
またある人は、「今回ダメだったけど、地球上の半分は男性(あるいは女性)だから、チャンスはまだまだあるさ!」と考える人もいます。
この後者の人のように、思考を柔軟にしておくことが大切です。
そのための練習として、目の前で起きることに、やはりいちいち反応・判断せず、保留にしておく癖をつけておきましょう。
まとめ
さて、いかがでしたでしょうか?
今回は、故事をヒントに、軽やかに生きるヒントをお伝えしてまいりました。
生きていれば、良い(と思える)ことも、悪い(と思える)ことも起きてきます。
だからこそ、一憂一喜せずに、淡々とコツコツ、目の前のことを積み上げていくことが大切です。
ぜひこちらの記事も参考にしてみてください。
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最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。