心理・成功

人の幸せを喜べない人と喜べる人の違いを理解し自分らしく生きる方法

同僚や友人が仕事で成功したり、結婚して幸せに暮らしているのを見たとき、自分と比較して心の中でモヤモヤしてしまうことはありませんか?

 

本当は大切な同僚や友人の幸せを祝いたいのに、素直に喜べない。一方、あなたが何か賞をもらったり、幸せを手に入れたりすると、心から喜んでくれる同僚や友人がいることも事実です。

 

この差はどこから来るのでしょうか。そして、人のために喜べないひねくれ者の自分を責めてはいないでしょうか?

 

今回は、人の幸せを喜べる人と喜べない人の違いを理解し、この「違い」をヒントにした生き方をご紹介します。

 

人の幸せを喜べる人は小さい頃に十分に"愛された感覚"がある

人の幸せを素直に喜べる人は、親から"あなたはここに存在して良い"という感覚を持っている人です。無条件の愛というものです。

 

他人と自分を比べず、他人が褒められたり、何かに成功したときに物足りなさを感じることはありません。あくまで、"他人は他人 自分は自分”というスタンスなのです。

 

これは、例えば愛情をコップの容器だとします。幼児期にこのコップにしっかりと親から愛情を受け取り、それが溢れるほど満たされていると、私は何があっても大丈夫という感覚が生まれます。

 

仮に自分ではなく、誰かが褒められても、誰かが幸せになったとしても、その自分のコップから幸せの価値や量は奪われることはない、という感覚です。

 

だからこそ、心の底から他人の幸せを喜べるわけです。さて、ここで一部の人は気がつきます。

 

私は他人の幸せを喜べる人ではない

なぜ心から喜べないんだ?

私はこんなにも心の狭い人だったとは残念だ

 

このように、いかに自分の人格がダメであるのか、自分を無駄に責め立てます。ですが、自分を責めたり、無理をして誰かの幸せを喜んだりしても、この問題は解決していきません。

 

まるで地獄アリの巣のように、もがけばもがくほど、問題が自分の中で大きくなっていきます。ですので、他人の幸せが喜べないと気がついた人は、自分自身の特徴を一度振り返ってみましょう。

 

他人の幸せを喜べない人はずっと"欠乏感"を持っている

私自身もどちらかといえば、この部類の人に入ります。親から条件付きの愛しか受けなかった人は、元々愛情のコップに十分に愛が満たされていない状態です。

 

それは、親や養育者から、いつも誰かと比べてられ「優れていなければ愛されない」「ギブアンドテイク」という感覚を持っているためです。

 

お手伝いをすれば愛をくれる

テストでいい点数を取れば愛をくれる

言うことを聞いたら愛をくれる

 

本来なら、あなたが生まれてありのまま存在していても愛されるべきところを、親や養育者は、まるで資本主義の"取引"のようにして、愛を取引されるのです。

 

これをされ続ければ、コップに愛を十分に満たす機会を失います。そして大人になって気がつくと、このコップには半分も満たされていないのです。

 

他人が褒められたり、何かに成功したりすると、まるで相手よりコップの量が欠けているのがよーく感じられます。あの小さい頃に、親や養育者から押し付けられた、ギブアンドテイクの愛の感覚が、今でも身体や心にこびりついているのです。

 

この感覚は満たされることなく、今でも同じような場面で、治っていない傷のように疼きます。これが、素直に他人の幸せを喜べない大きな原因の一つなのです。

 

では、このどうしようもない"欠乏感"を埋めるため、当時の親や養育者を責めたり、もう一度、無条件の愛をもらうことはできるのでしょうか?

 

残念ながら、大人になったあなたがそれを求めても、愛を得ることが難しいのが事実です。

 

親を責めても子供の頃に欲しかった"愛情"は得られない

ここまでつづってきた親や養育者のことを、いわゆる「毒親」と読んだりします。こうした毒親に育てられた人は、親に仕返しをしたり、親を責めたくなるのです。

 

他の家庭では与えてくれてるのに、"どうして自分だけ、私を、こんな風に育てたの?"という虚しい感覚、寂しい感覚、怒りを覚えることでしょう。ですが当の親といえば、 そう言われても、覚えていないのです。

 

自分たちが悪いことをしたことを忘れてしまっているのです。むしろ、そのようにあなたに接したことを、良いことのように誇ったりするのです。

 

それをみて、余計にあなたは怒り、虚しく、寂しい思いをする羽目になってしまうでしょう。親や養育者にいくら訴えても、その声は届くことはありません。

 

では、一生涯、この"欠乏感"を抱えたまま生きていくことになるのでしょうか?

 

安心してください。このもらえなかったコップの愛情は、何も親や養育者から注いでもらわなくてもいいのです。それは、自分の手で、自分の愛を注いでいくことなのです。

 

自分を自分でゆっくり満たしていくこと

他人と自分を比べることが少なくなれば、あなたはいちいち他人が幸せになろうが、関係なく自分の幸せに焦点を当てられます。

 

そのためには、自分の手で、自分の愛をコップに注いでいくのです。その時に感じたかった「自分はここに存在していいんだ」という「安心感」で自分を満たしていくのです。

 

もちろん、頭ではわかっていても、"欠乏感の感覚"は私たちの想像以上にこびりついています。そこには”感情”も一緒にこびりついているため、その"傷"に触れるのが難しいのも事実です。

 

ですが、焦らず自分のペースでゆっくりと、その"傷"を癒していくことで、あなたはあなたのままでいい、という感覚に変換されてきます。

 

まずは、他人と自分を比べるところには、どんな感情があるのか?というのを理解していきましょう。

 

紙とペンを用意して、他人と比べてしまう時にどんな感情があるのか?というのを、目にえる形にするのです。こうすることで、頭の中でモヤモヤしていたものに、「光」が当たります。

 

光が当たれば闇は消えていきます。

 

単純な作業だと思いますが、まずは、どんな感情が眠っているのかを客観的に見出していきましょう。スタートはそこからです。まるであなた自身が親になったつもりで、子供の頃の自分の気持ちに寄り添うのです。

 

これを繰り返していくと、ただただ頭を撫でて欲しかった、そばで手を繋いで欲しかった、怖い顔せずただただ抱きしめて欲しかった、という寂しさ、虚しさ、物悲しさ、切なさのような、けれど、なぜか温かい感覚に包まれます。

 

そっか、自分は親の愛情が欲しくて、他人と比べることをしていたのか...
そんな気持ちにもつながっていきます。

 

そして、ほとんど多くの人は「劣等感」を抱えています。この劣等感を解消していくだけでも、とても生きやくすなります。こちらの記事でもそのことをまとめていますので、ぜひ参考にしてみてください。
↓↓↓
劣等感を持つ人が幸せになるための3つのステップとは?

 

これが1ミリでも理解できた時、あなたの人生は他人と比べる競争から抜け出し、自分の足で歩いていく、自分の人生をスタートすることができるようになります。

 

少しずつでいいんです。ゆっくりとあなたらしく進んでいきましょう。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?
今回は、他人の幸せを喜べる人、喜べない人の違いをお伝えしてまいりました。そして、その違いを理解し、自分の人生を歩いていくことをお伝えいたしました。

 

親から条件付きの愛しかもらえなかった人にとって、この人生は他人との戦いで、辛いものと映るかも知れません。ですが、ゆっくりとでも、気がついたタイミングで、あなたがあなたを満たしていけばいいんです。

 

また、人生が上手くいっている人がいるのなら、その人がどんな思考で、どんな感覚で生きているのかを参考にするのも、大切です。そのことについて書いた記事がありますので、ぜひこちらもご覧ください。
↓↓↓
人生が上手くいっている人が実践する5つの徳の積み方

 

今回は以上になります。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。